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東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)28号 判決 1991年3月28日

原告

ザ ウイスター インステイテユート

被告

特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を九〇日と定める。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

「特許庁が昭和五八年審判第一三二五〇号事件について昭和六二年一〇月一三日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文一、二項同旨の判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

出願人 原告

出願日 昭和五三年六月一三日(同年特許願第七一三九八号、一九七七年(昭和五二年)六月一五日出願のアメリカ合衆国特許出願に基づく優先権を主張)

本願発明の名称 「ウイルス抗体の製造方法」

拒絶査定 昭和五八年二月一六日

審判請求 昭和五八年六月二一日(同年審判第一三二五〇号事件)

審判請求不成立審決昭和六二年一〇月一三日

二  本願発明の要旨

ひ臓または淋巴節に見出されるタイプのウイルス抗体生産性細胞とミエローマ細胞との融合細胞ハイブリドを調製し、該ハイブリドを培養し、そしてウイルス抗体を採取することからなる、ウイルス抗体の製造方法。

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨

前項記載のとおりである(特許請求の範囲第一項の記載に同じ。)。

2  引用例の記載

(一) Nature二五六(一九七五・八・七)四九五頁ないし四九七頁(以下「第一引用例」という。)

「予め定められた特異性を有する抗体を分泌する融合細胞の連続培養」と題する、ヒツジ赤血球(SRBC)を抗原としてマウス(BALB/c系)を免疫し、そのひ臓細胞をマウスのミエローマ細胞(P3X63Ag8)とセンダイウイルスを用いて細胞融合させ、得られた融合細胞ハイブリドをHAT培地で培養(クローン化)し、そしてSRBCに特異性を示す抗体を産生するクローンを選択することによつて、抗SRBC単クローン性抗体を製造する方法が記載されている。

(二) Eur. J. Immunol.六(一九七六)五一一頁ないし五一九頁(以下「第二引用例」という。)

「細胞融合による特異抗体産生組織培養及び腫瘍株の誘導」と題する、ヒツジ赤血球(SRBC)又は二、四、六―トリニトロフエニル(TNP)で免疫したマウス(BALB/c系)のひ臓細胞とマウスの,ミエローマ細胞株(P3/X63Ag8又はP3/NSI/1-Ag4-1)とをセンダイウイルスを用いて細胞融合させ、得られた融合細胞ハイブリドを培養して、抗SRBC又は抗TNP抗体生産性ハイブリドを繰返しクローン化することによつて抗SRBC又は抗TNP単クローン性抗体を製造する方法が記載されている。

(三) Nature二六六(一九七七・四・七)五五〇頁ないし五五二頁(以下「第三引用例」という。)

「ハイブリド細胞ラインによる主要組織適合抗原に対する抗体の産生」と題する、DA株抗原で免疫したAO系統ラットのひ臓細胞とマウスのミエローマ細胞(P3/X63Ag8)とをポリエチレングリコール(PEG)を用いて細胞融合し、得られた融合細胞ハイブリドからDA株抗原に特異性を示す単クローン性抗体を産生するクローンを選択することによつて、抗DA株単クローン性抗体を製造する方法が記載されている。

(四) Eur. J. Immunol.五(一九七五・五)七二〇頁ないし七二五頁(以下「第四引用例」という。)

「インフルエンザウイルスに対する単クローン性免疫応答の分析1.インビトロでの単クローン性抗ウイルス抗体の生産」と題する、ひ臓フラグメント培養法により、インフルエンザウイルス[PR8系〔A/PR8/34(HON1)〕]で免疫したマウス(BALB/c系)のひ臓から、該インフルエンザウイルスに対して特異的に作用する抗体を産生する細胞、すなわち、抗インフルエンザウイルス抗体生産性細胞のクローンが得られることが記載されている。

(五) J. Exp. Med.一四四(一九七六)九八五頁ないし九九五頁(以下「第五引用例」という。)

「インフルエンザウイルスに対する単クローン性免疫応答の分析Ⅱウイルス血球凝集素の抗原性」と題する、単クローン性及び必然的に単一特異的な抗ウイルス抗体をインフルエンザウイルスPR8〔A/PR8/34(HON1)〕の血球凝集素の抗原構造の分析へ応用することが記載されている。

(六) Nature二六六(一九七七・四・七)四九五頁(以下「第六引用例」という。)

「抗体産生が容易になる」と題し、「最近のケンブリッジの討論会において、K. Rajewsky及びG. Hammerlingは、腫瘍細胞と種々の抗体産生細胞とを融合して広範囲のイディオタイプ並びに細菌及び哺乳動物の細胞成分に対する抗体を産生する細胞株を得たと報告した。」ことが記載されている。

(七) The Lancet(一九七七・六・一一)一二四二頁ないし一二四三頁(以下「第七引用例」という。)

「体細胞融合の技術は、概念が簡単で、操作がエレガントで、且つ応用範囲が広く、現代の生物学において最も画期的な研究開発の一つであることが実証された。種々の手法、―例えば不活性化したセンダイウイルス又はポリエチレングリコールを加えること―により、かなり異なったタイプの且つ全く関係のない種からの培養細胞を一緒に融合させて、両者の親の多くの性質を表示するハイブリドを作ることができる。……ケンブリッジのM. R. C.分子生物学科でCesar Milsteinに率いられるグループは、急速に増殖しつつあるマウスのミエローマ細胞株(抗体特異性のない単一分子属の免疫グロブリンを大量に産生する)を免疫されたラットのひ臓細胞(これらの細胞は多くの特異抗体を産生するが、試験管内での生存能が低い)と融合した。該ハイブリドの中からは、彼らは、親ミエローマの高い生存能と抗体産生能を有し、免疫したひ臓細胞によつて特異抗体を産生する数種の細胞株を分離した。……ヒトの診断用免疫学におけるその応用の可能性は自明である.たとえば希な血液型、各種肝炎抗原ならびに胎児腫瘍性及び腫瘍関連抗原を同定するためには、純度、抗体力価、特異性にすぐれた抗血清に対する切迫した需要が存在する。」ことが記載されている。

3  本願発明と引用例記載の発明との対比

第一引用例には、ヒツジ赤血球を抗原として免疫されたマウスのひ臓細胞とマウスミエローマ細胞を細胞融合し、抗ヒツジ赤血球抗体(単クローン性抗体)を産生分泌しつつ増殖し続ける融合細胞ハイブリドを形成させ、それを継代培養することにより該抗体を生産する方法が記載されているので、本願発明とは、免疫する抗原の種類がヒツジ赤血球であるかウイルスであるか,したがつて目的とする抗体が抗ヒツジ赤血球抗体であるか抗ウイルス抗体であるかで相違しており、その余の構成は同一である。

4  相違点に対する判断

(一) 抗原の種類に関し、第一ないし第三引用例によると、ヒツジ赤血球で免疫したマウスからも、二、四、六―トリニトロフエニルで免疫したマウスからも、主要組織適合抗原で免疫したラットからも、同じように単クローン性抗体産生能力を有する継代可能な融合細胞ハイブリドが得られている。

(二)(1) 第一ないし第三引用例には、これら実際に免疫反応が示された特定の抗原以外の他の抗原についても示唆する記載がある。

(2) (イ)第一引用例には「上記結果は、細胞融合法は予じめ決定されている抗原に対する特異的な抗体を製造するための強力な手段であることを示している。」 (四九七頁左欄五行ないし七行)と記載され、(ロ)これは細胞融合の技術が単クローン性抗体製造の強力な手段であると認識されていることを示すものであり、(ハ)並びに「この研究に用いられた細胞はすべてBALB/c由来のものであり、ハイブリドクローンはBALB/cマウスに注射されて固型腫瘍および抗SRBC活性をもつ血清を産出することができる。異なる由来からの抗体産生細胞をハイブリド化することもできる。そのような細胞は試験管内で大量培養に増殖して特異抗体を提供することができる。そのような培養は医学的および工業的用途に有用であろう。」(同頁右欄本分一二行ないし一八行)と記載され、(ニ)これは細胞融合の技術が医学的および工業的用途に有用な抗体を大量に提供する手段になり得ることを示すものである。

(3) そして、(イ)第二引用例には、「細胞融合技術はミエローマ細胞および抗体生産性細胞との間のハイブリドを作製するために使用されてきた。誘導されたハイブリド株は組織培養で永久的に成育させるために適合せしめられたり、またマウス中で抗体生産性腫瘍を誘起することができる。」(五一一頁三行ないし六行)と記載され、(ロ)細胞融合の技術を抗体生産性細胞とミエローマ細胞の融合細胞ハイブリドを作製するために使用したこと、その結果、単クローン性抗体産生能力を有する継代可能な融合細胞ハイブリドが得られたことが示されている。(ハ)同様のことが、例えば、第三引用例の五五〇頁左欄下から二一行ないし一〇行にも記載されている。

(4) このように、第一ないし第三引用例は細胞融合の技術が単クローン性抗体製造の原理的手法であること並びにこの手法の応用は医学的及び工業的用途に有用な抗体を大量に製造することに向けられていたことを教示するものである(同様のことが第六、第七引用例にも示されている。)。

(三) そして、(イ)「他の抗原を用いて同じような結果を得られるかどうかはさらに研究を待たねばならない。」(第一引用例の四九七頁右欄下から九行ないし八行)は、他の抗原についてはまだ研究の手がつけられていないことを示すものであるが、(ロ)これは他の抗原について抗体産生能力を有する融合細胞が得られるかどうかの研究すべき課題の提示ともいうべきもので、むしろ、他の抗原へ研究の関心が向けられていることを示しているともいえるのである。

(四) それでは、具体的にどのような方向に向けられているのか、(イ)第一引用例には、抗ヒツジ赤血球抗体が実際の治療及び診断に直接役に立つものではないにもかかわらず、(ロ)医学的及び工業的用途に有用な抗体を提供する可能性まで言及されており、ヒツジ赤血球以外の他の抗原に対する医学的用途に有用な抗体に向けられているといえる。(ハ)第一引用例の研究に関し、特にその用途に関し、第六及び第七引用例にも記載があり、特に第七引用例には、肝炎抗原を同定するための抗体等の実際の治療、診断に実用性のある抗体を提供する可能性に言及されている(なお、肝炎抗原は肝炎ウイルスとほぼ同一の意味である。)。

(五) 一方、(イ)第四及び第五引用例には、ウイルスを用いてマウス(BALB/c系)を免疫することにより、単クローン性抗ウイルス抗体生産性のあるひ臓細胞を調整し、それを試験管内で培養して単クローン性抗ウイルス抗体を生産する方法が記載され、(ロ)ウイルスに対する単クローン性抗体生産性ひ臓細胞を培養して単クローン性抗ウイルス抗体を生産することは本願出願前公知である。(ハ)そして、単クローン性抗体は現在まで広く用いられている動物血清から精製した抗体と比較して、より純度の高い単一の特異性をもつた抗体であり、ウイルスに対する単クローン性抗体についても例外ではなく、大量生産が望まれていたものである。

(六) そのうえ、本願発明は、その特許請求の範囲の記載から明らかな如く、公知の抗体の生産については起らず、ウイルス抗体を生産するときに起る問題を解決する手段等を必須の構成要件とするものではない。

(七) 以上総合すると、(イ)マウス(BALB/c系)由来のものについて抗ウイルス抗体生産性細胞が公知であるとき、(ロ)それをもつて来て公知方法を適用すれば,すなわち、このひ臓細胞とミエローマ細胞を融合させれば、ウイルスに対する単クローン性抗体産生能を有する継代可能な融合細胞ハイブリドが得られるであろうことは当業者が容易に気付く程度のことであり、上記相違点に格別の創意工夫があるとすることはできない。(ハ)そして、その相違点に基づく本願発明の効果は予期以上の格別優れたものであるとはいえない。

5  したがつて、本願発明は、第一ないし第七引用例の記載に基づいて容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法二九条二項の規定により特許を受けることができない。

四  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点1は認める。2の(一)ないし(七)は認める。3は認める(なお、その相違点の認定が後記第三の1における被告主張の点を前提とするものであることも認める。)。4の(一)は認める。同(二)のうち、(2)の(二)、(3)の(ロ)及び(4)は争うが、その余は認める。同(三)の(イ)は認めるが、(ロ)は争う。同(四)の(イ)は認めるが、(ロ)、(ハ)は争う(ただし、肝炎抗原が肝炎ウイルスとほぼ同一の意味であることは認める。)。同(五)の(ロ)は争うが、その余は認める。同(六)は争う。同(七)の(イ)は認めるが、(ロ)、(ハ)は争う。5は争う。審決は、第一引用例記載の単クローン性抗体の製造手法を、ウイルスを免疫抗原とする場合に適用する可能性についての判断を誤つた結果、本願発明が免疫抗原としてウイルスを用いた点の想到容易性に関する判断を誤り(取消事由(1))、仮にそうでないとしても、本願発明の抗体生産性細胞と第四及び第五引用例記載の抗体生産性細胞とが相違することを看過して、前記手法を第四及び第五引用例記載の抗体生産性細胞と組合せることにより本願発明を実現できるとの誤つた判断をし(取消事由(2))、また、本願発明の作用効果の顕著性に関する判断をも誤つた(取消事由(3))。

1  取消事由(1)

(一) 本願出願当時、第一引用例記載の単クローン性抗体の製造手法(以下「第一引用例記載の手法」という。)を適用することにより、使用した免疫抗原(抗体生産性細胞を誘導するための抗原)に対する単クローン性抗体産生能を有し、かつ継代可能は融合細胞ハイブリド(二種の細胞の細胞核及び細胞質が融合した雑種細胞)がえられることが実験で確認されていたのは、第一ないし第三引用例記載の具体的事例、すなわち、免疫抗原として、ヒツジ赤血球(第一及び第二引用例)、二、四、六―トリニトロフエニル(以下「TNP」と略称する。)(第二引用例)、DA株抗原(第三引用例)という、いずれも実験室用の抗原を用いた三例があつたにすぎない。しかして、実験による確認が不可欠なこの種の技術分野においては、第一ないし第三引用例において、前記各抗原で免疫したマウス(BALB/c系)又はラット(AO系統)から取り出したひ臓細胞(抗ヒツジ赤血球抗体、抗TNP抗体又は抗DA株抗体生産性細胞)を、細胞融合剤(センダイウイルス又はポリエチレングリコール)を用いてミエローマ細胞(骨髄腫。一種の癌細胞である)(BALB/c系マウスのP3/X63Ag8等)と融合することにより、それぞれの免疫抗原に対する単クローン性抗体産生能を有し、かつ継代可能な融合細胞ハイブリドが得られることが確認されたとしても、その適用性は、免疫抗原との関係では、前記各抗原を用いた場合に限られる。したがつて、本願出願の時点では、第一引用例記載の手法を、第一ないし第三引用例で用いられた抗原以外の抗原、殊に本願発明におけるように、非常に単純な構造からなる天然の感染病原体であつて、極めて僅かの蛋白質しか持たないウイルスを免疫抗原として用いた場合に適用する可能性は全く不明であつたのであり、このことは、第一引用例において、「他の抗原を使用しても同様な結果が得られるか見る必要がある。」(四九七頁右欄下から九行ないし八行)として、ヒツジ赤血球以外の他の免疫抗原を用いた場合の適用可能性は全く不明である旨明記されていることからも明らかである。

(二) しかるに、審決は、本願出願当時、ウイルスを免疫抗原として第一引用例記載の手法を用いた場合にも、第一ないし第三引用例と同様に、使用された免疫抗原(ウイルス)に対する単クローン性抗体産生能を有し、かつ継代可能な融合細胞ハイブリドが得られることが容易に予測し得たかの如き誤つた前提の下に、本願発明が免疫抗原としてウイルスを用いた点の想到容易性を肯定しているものであるから、この点の審決の判断は、その前提において既に誤りである。

(三) なお、この点に関連して、被告は、第一引用例記載の手法が本願出願前に既に確立していたかの如き主張をしている。しかし、本願出願後の文献である甲第一一号証(一九八一年発行)及び乙第一号証(一九八五年発行)(したがつて、いずれも前記の予測性の判断資料とはなし得ない)にも、(a)「免疫学の分子レベルでの研究はハイブリドーマのテクニツクが実用化してから本格的に始まつたともいえる」(甲第一一号証の九七六頁右欄四行ないし六行)、(b)「モノクロナール抗体の応用については、本稿ではとれたモノクロナール抗体をどう使うかという面からのアプローチしかできなかつたが、次のステップは如何にして目的とする特異的モノクロナール抗体を作製するかということである。もちろん、これからの免疫システムに関する基礎的研究の発展によるところが大きいが、見通しは明るいものと期待したい。」(同頁八行ないし一四行)、(c)「あとでこの細胞の組合せによる細胞融合に対してセンダイウイルスはたいへん不向きであり、彼らもこのウイルスでリンパ球とミエローマ細胞を融合させることについては以後ほとんど成功することはなかつた。最初の融合に限つて、そのセンダイウイルスで成功した点で、彼らは非常に幸運であつたといえる。」(乙第一号証の四九頁左欄三七行ないし四三行)(なお、右記載は第一及び第二引用例において用いられたセンダイウイルスについてのものである。)との記載があることに徴しても、前記手法が、本願出願当時は未だ開発の初期的段階にあり、被告主張のように既に確立されたといい得る状態になかつたことは明らかである。

2  取消事由(2)

(一) 仮に取消事由(1)に理由がないとしても、審決のいうように、第四及び第五引用例記載の抗ウイルス抗体生産性ひ臓細胞(BALB/c系マウス由来)を第一引用例記載の手法と組合せても本願発明が実現されることにはならない。すなわち、第四及び第五引用例記載の抗体生産性ひ臓細胞は、(イ)先ずマウスの免疫ひ臓細胞を取り出し、(ロ)それを別のX線照射マウスに静注し、(ハ)その受け取った分のマウスからひ臓細胞断片を取り出すとの複雑な過程を経て得られたものであるため、その中には目的とする抗ウイルス抗体生産性ひ臓細胞以外に、他の種々の抗原に対する抗体生産性ひ臓細胞を多量に含有するものである。これに対し、本願発明の「ウイルス抗体生産性細胞」は右(イ)の段階の免疫ひ臓細胞に該当するもので、第四及び第五引用例におけるような複雑な過程を経ておらず、また、これらの引用例のものよりはるかに純粋なものである。したがつて、第四及び第五引用例記載の抗ウイルス抗体生産性細胞を第一引用例記載の手法と組合せたとしても、本願発明におけるように純粋な融合細胞ハイブリドを得ることはできない。

(二) しかるに、審決は、本願発明の抗体生産性細胞と第四及び第五引用例記載の抗体生産性細胞とが相違することを看過し、第四及び第五引用例の抗ウイルス抗体生産性細胞を第一引用例記載の手法に組合せることにより本願発明を実現できるとの誤つた前提の下に、想到容易性の判断をしているものであつて、誤りである。

(三) この点に関し、被告は、審決のいう第四及び第五引用例の抗ウイルス抗体生産性細胞は前記(イ)の段階の免疫ひ臓細胞である旨主張する。しかしながら、この点に関する審決の記載、すなわち、第四及び第五引用例を引いて「ウイルスに対する単クローン性抗体生産性ひ臓細胞を培養して単クローン性抗ウイルス抗体を生産することは本願出願前公知である。」(審決の理由の要点4(五)(ロ))(なお、右「ウイルスに対する単クローン性抗体生産性ひ臓細胞」が前記(ハ)の段階のひ臓細胞断片を指すことは疑いがない。)としたうえ、それに引続き、右記載を受けて「このひ臓細胞とミエローマ細胞を融合させれば」(同(七)(ロ))と記載されていることに徴し、その「ひ臓細胞」(審決のいう第四及び第五引用例の抗ウイルス抗体生産性細胞)が前記(ハ)の段階のひ臓細胞断片に当たることは明らかである。

3  取消事由(3)

(一) 更に、本願発明の効果について、審決が「予期以上の格別優れたものであるとはいえない」とした点も、誤りである。すなわち、本願発明は、従来技術がなし得なかつた効果、すなわち、肝炎抗原の同定や治療、診断に実用性のある医学的又は工業的用途に有用な純粋な単クローン性抗ウイルス抗体を大量に提供することに始めて成功したものであるところ、審決の判断は、このような実際の診断及び治療に役立ち得る、純度の高い単クローン性抗ウイルス抗体を大量生産する技術が本願出願前には存在しなかつたことを認めながら、その時点で未だ実施可能の範囲内にはなかつた本願発明の実施の可能性を前提としてその効果の予測性を判断しているものであり、また、その効果と比較すべき対象は各引用例の効果であるのに、容易に組合せ得るか否か判明しない各引用例を組合せた場合の効果と比較することによつて、前記のような誤つた結論を導いたものである。そして、審決が指摘する第六及び第七引用例の記載も未だ実現されていない新技術に対するジャーナリストの単なる願望を記載したものにすぎず、いずれも本願発明の効果を予測するための判断資料となし得るものではない。

(二) なお、被告は、本願発明の抗ウイルス抗体の大量生産性に関し、大量生産という効果自体は、第一引用例記載の手法の原理から当業者であれば当然に理解していたところである旨主張しているが、その点を認め得る資料はなく、また、本願発明が初めて医学的、工業的に有用な抗体を提供した点を当業者が容易に予測し得た根拠として被告が挙げる、本願出願前から抗ウイルス抗体としての抗血清が免疫グロブリン製剤として病気の診断、治療に用いられてきた事実がよく知られていたとの点も、審決が効果の認定の対象としたところと異なるのみならず、本願発明の内容と無関係である。また、被告は、本願発明の抗ウイルス抗体がマウス由来のもので、通常はヒトの治療等に使用できない点を指摘するが、第一引用例において用いられた抗ヒツジ赤血球抗体は、始めから直接治療や診断の役に立たないものであるのに対し、本願発明の抗ウイルス抗体は、マウス由来のものであるためにヒトの治療等に用い得ないとしても、少なくとも、その製造が実用性ある治療や診断のための第一歩をなし得た点で、抗ヒツジ赤血球抗体との間に質的差異があるのである。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認め、四は争う(なお、審決における本願発明と第一引用例との相違点の認定は、免疫抗原の差異に応じて、抗体生産性細胞が、本願発明のものは抗ウイルス抗体生産性細胞、第一引用例のものは抗ヒツジ赤血球抗体生産性細胞である点で異なり、したがつて、これとミエローマ細胞との細胞融合による融合細胞ハイブリドも両者の間で異なることを当然の前提としているものである。)。

二  被告の主張

1  取消事由(1)について

(一) 第一引用例記載の手法は、①特定の抗原で免疫したマウス等から取り出したひ臓細胞を、センダイウイルス又はポリエチレングリコールを用いてミエローマ細胞(後記(四)記載の理由により、HGPRT欠損の変異株であるマウスのミエローマ細胞株P3/X63Ag8等を使用する。)と融合する、②その生成物をHAT選択培地中で培養することにより、抗体生産性細胞とミエローマ細胞との融合細胞ハイブリドを選択する(その詳細は後記(四)記載のとおりである。)、③右融合細胞ハイブリドを、クローニング(純化)技術により、目的とする抗体を産生する融合細胞ハイブリドのみに純化する、④以上により得られた融合細胞ハイブリドを培養して純粋な単クローン性抗体を大量に生産するものである。

(二) しかして、原告は、本願出願当時、第一引用例記載の手法を、第一ないし第三引用例で用いられた免疫抗原以外の抗原、殊に本願発明のようにウイルスを免疫抗原として用いた場合に適用する可能性は全く不明であつた旨の主張をしているが、当業者であれば本願出願前にその可能なことが容易に予測できたものであることは、審決で述べたところから明らかである。そして、第一ないし第三引用例の著者であるミルスタインらは、第一引用例記載の手法を見出した功績によつて一九八四年度のノーベル医学・生理学賞を受賞しているところ、これは、該手法が、その原理からミエローマ細胞と融合する相手方の抗体生産性細胞の種類に依存することなく(したがつて、その誘導に用いられる免疫抗原の種類にも依存することなく)広く適用でき、かつ、純粋な単クローン性抗体を大量に生産し得るものであつたからこそである。また、第一引用例記載の手法は、本願出願前に既に確立されていたもので、その原理も、作用機構の明確さから当業者に十分理解されていたところであり、また、そのような事情があつたからこそ、該手法の評価が第六及び第七引用例の記載となつて表れているのである。これらの引用例の記載は原告のいうように単なるジャーナリストの願望の表明ではなく、かえつて第一引用例記載の手法に対する当業者の認識、理解を端的に示すものであり、殊に第七引用例には「勿論この研究の刺激は原理であつて最初の産物が問題だつたのではない。この技術の臨床診断免疫での応用性は明らかである。」(一二四二頁右欄四五行ないし四九行)との記載がある。なお原告は、第一引用例記載の手法の適用可能性に関し、ウイルスの抗原としての性質にも言及しているが、乙第三号証(一九六八年発行に係る「獣医微生物学」)の「ウイルスはよい抗原である。ウイルスは主として蛋白と核酸からなり、蛋白は一般によい抗原であることから考え、もつともである。」(五〇六頁右欄二六行ないし二八行)、「ウイルスは中和抗体のみならず、多種多様の抗体を産生する有能な抗原である。」(五一七頁二五行ないし二六行)、「インフルエンザ・ウイルスではそのウイルス粒子中にふくまれる赤血球凝集素(ムコ蛋白)がウイルス粒子同様に感染防止能を動物にあたえるし、中和抗体産生能ももつている。」(同頁三四行ないし三七行)との記載からも明らかなように、ウイルスは有能な、よい抗原であつて、免疫抗原としてウイルスを使用した場合にその手法の適用がなし得ないと考えるべき理由はない。

(三) なお、原告は、第一引用例記載の手法が本願出願前確立していたとの被告の主張を争い、その根拠として甲第一一号証及び乙第一号証の記載(審決を取消すべき事由1(三)の(a)ないし(c)を援用している。しかし、甲第一一号証で初期的段階にあるとされているのは、その記載上、細胞融合の利用に係る単クローン性抗体の製造手法ではなく、免疫学の分子レベルでの研究((a)記載)又は抗体の人工設計等分子レベルでの研究の成果であるところの「目的とする特異的モノクロナール抗体を作製する」技術((b)記載)であることが明らかである。また、乙第一号証の(c)記載についても、第一引用例におけるセンダイウイルスによる細胞融合の成功が幸運であつたとしても、第三引用例には「これまでの実験では我々は融合剤としてセンダイウイルスを使用した。ここに記載する実験においては、ポリエチレングリコール(PEG)を使用した。PEGでの動物細胞の融合は最適の方法となつてきている。」(五五〇頁左欄下から四行ないし二行)との記載があり、本願出願前には既により適当なポリエチレングリコールが使用されているのであるから、いずれも右原告の主張の支えとはならない。

(四) なお、前記(一)②の融合細胞ハイブリドの選択は特定のミエローマ細胞(マウスのミエローマ細胞株P3/X63Ag8等)と特定の培地(HAT培地)との組合せによつて実現される。すなわち、HAT培地中では、それに含有されるアミノプテリンによつて、生物の細胞の生存・増殖に必須のヌクレチオドを合成するための二つの経路(再生経路及び新生経路)のうち新生経路が阻害されるため、細胞の生存・増殖のために再生経路を用いる必要があるところ、前記ミエローマ細胞株は再生経路の機能のために不可欠な酵素HGPRTを欠損する変異株であるから、HAT培地中では生存できず、他方、融合の相手方である抗体生産性細胞(不純物として混入したその他の正常細胞も同じ。)は酵素HGPRTの欠損がないからHAT培地中でも再生経路が機能するが、癌細胞の一種であるミエローマ細胞株と違つて無限の増殖性がないため、一定期間経過後に死滅する。したがつて、かかる組合せの下で生存、増殖し得るのは、ミエローマ細胞株に由来する無限の増殖性と抗体生産性細胞(又はその他の正常細胞)に由来するHGPRTを併せ有する融合細胞ハイブリドのみであり、その余の、未融合のミエローマ細胞及び抗体生産性細胞並びにそれぞれ同士の間の融合細胞等は一定期間経過後にすべて死滅する。前記(一)②の融合細胞ハイブリドの選択は、かかる仕組みを利用してなされるものである。なお、この場合、抗体生産性細胞は、前記ミエローマ細胞株のように、癌細胞でもなくHGPRTの欠損もない正常細胞であれば足りることは自明であつて、このようなHAT選択の仕掛け自体は本願出願前当業者にもよく知られていたところである。

2  取消事由(2)について

原告の主張は、まず、審決のいう第四及び第五引用例の抗ウイルス抗体生産性細胞が(ハ)の段階(審決を取り消すべき事由2(一)の(ハ))のひ臓細胞断片であることを前提としている点で誤りである。けだし、この点に関する審決の記載は、「以上総合すると、マウス(BALB/c系)由来のものについて抗ウイルス抗体生産性細胞が公知であるとき、それをもつてきて公知方法を適用すれば、すなわち、このひ臓細胞とミエローマ細胞を融合させれば、」(審決の理由の要点4(七))というものであつて、右記載によれば、ミエローマ細胞との融合の相手方である「このひ臓細胞」がその直前の「抗ウイルス抗体生産性細胞」を指すことは明瞭であり、そこでは、原告が指摘する審決の理由の要点4(五)(ロ)にいう「単クローン性抗体生産性ひ臓細胞」(前記(ハ)の段階のひ臓細胞断片を指す)とは明らかに異なる表現がとられていることからして、右の「このひ臓細胞」(審決のいう第四及び第五引用例の抗ウイルス抗体生産性細胞)が(イ)の段階(審決を取り消すべき事由2(一)の(イ))の「インフルエンザウイルスで一次免疫されたマウスからのひ臓細胞」を指すものであることは明らかだからである。また、原告の主張は、本願発明の「ウイルス抗体生産性細胞」が前記(イ)の段階のものに限定されることをも前提とするものであるが、右「ウイルス抗体生産性細胞」について、本願発明に係る特許請求の範囲には「ひ臓または淋巴節に見出されるタイプのウイルス抗体生産性細胞」と記載されているのみであるから、原告主張のような限定をすることは到底できず、その点でも原告の主張はその前提を誤るものである。なお、付言するに、第三引用例の「このアプローチの最も強力な特徴の一つは、クローニングにより、非精製免疫源を用いているにもかかわらず、モノクロナール抗体を合成するセルラインを容易に誘導できるという点である。異種の融合細胞集団が有する多成分性の問題はクローニング技術により解決される。」(五五〇頁左欄下から一八行ないし一四行)との記載からも明らかなように、むしろ非精製の免疫抗原をも用い得る点、したがつて、それによつて誘導される抗体生産性細胞が必ずしも純粋なものでなくてよい点にこそ、第一引用例記載の手法の利点の一つがあるのである。

3  取消事由(3)について

原告主張の本願発明の効果のうち、大量生産性の点は、第一ないし第三引用例に示された、細胞融合の利用に係る単クローン性抗体生産の手法そのものの効果にすぎず、また、本願発明によつて始めて肝炎抗原の同定等、医学的、工業的に有用な純度の高い抗ウイルス抗体を大量に提供し得たとする点も、純粋性において差があるとはいえ、本願出願前から抗ウイルス抗体としての抗血清が免疫グロブリン製剤として診断、治療に用いられてきたことが当業者によく知られていたところであり、また、第四引用例にはその単クローン性抗ウイルス抗体が「ウイルス製抗原の分析を可能にする」(七二〇頁上段下から三行ないし一行)との記載があること、第一引用例にも「異なる由来からの抗体生産性細胞をハイブリド化することも出来る。そのような細胞は試験管内で大量培養に増殖して特異性抗体を提供することができる。このような培養は医学的および工業的に有用であろう。」(四九七頁右欄一四行ないし一八行)と記載され、更に、第七引用例にも「この技術の臨床診断免疫での応用性は明らかである。例えば小数血液型群、各種肝炎抗原および腫瘍胎児性および腫瘍関連抗原などを固定する純粋かつ有力な単一特異性抗血清の多大な必要性がある。後には治療用抗体の理想的な供給源となるだろう…」(一二四二頁右欄四八行ないし一三頁左欄四行)との記載があること等に照らせば、当業者が容易に予測し得るところであつたことは明らかである(因に、本願発明の抗ウイルス抗体は、ヒトにとつては異物(非自己の抗原)として認識されるマウス由来の蛋白質であるから、通常はこれをヒトの治療に用いることはできない。)。なお、原告は他にも、本願発明の実施可能を前提として効果を予測することは不当であるなどと主張しているが、本願発明の実施可能性が認められることが既に述べてきたところから明らかである以上、これらの原告の主張が失当であることはいうまでもない。

第四証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

一  請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び審決の理由の要点)は当事者間に争いがない。

二1  前記当事者間に争いのない本願発明の要旨に成立に争いのない甲第二号証(本願公報)を総合すれば、本願発明は、抗原に対して特異的に反応する単クローン性抗体の製造方法に関し、ウイルス(抗原)に対し特異性を有する純粋な単クローン性抗ウイルス抗体を大量に製造することを目的として、前記当事者間に争いのない本願発明の要旨のとおり、「ひ臓または淋巴節に見出されるタイプのウイルス抗体生産性細胞とミエローマ細胞との融合細胞ハイブリドを調製し、該ハイブリドを培養し、そしてウイルス抗体を採取することからなる、ウイルス抗体の製造方法」なる構成を採択したものであることが認められる。

2  次に、第一引用例に審決摘示(審決の理由の要点2(一))のとおりの記載があること、同引用例の記載と本願発明とは、免疫抗原の種類がヒツジ赤血球であるかウイルスであるか、したがつて、目的とする抗体が抗ヒツジ赤血球抗体であるか抗ウイルス抗体であるかの点の相違し(ただし、免疫抗原の差異に応じて、抗体生産性細胞が、第一引用例のものは抗ヒツジ赤血球抗体生産性細胞、本願発明のものは抗ウイルス抗体生産性細胞である点で異なり、したがつて、ミエローマ細胞との融合細胞ハイブリドも両者の間で異なることを当然の前提とする。)、その余の構成は同一であることは当事者間に争いがない。なお、右相違点は、いずれも抗体生産性細胞の誘導のために用いられる免疫抗原の差異に基づくものであるから、本願発明の進歩性の判断に当たつては、免疫抗原の差異の観点から検討すれば足りる。

三  取消事由に対する判断

1  取消事由(1)について

(一)  前記当事者間に争いのない第一引用例の記載に成立に争いのない甲第三号証及び第一一号証を総合すれば(なお、右甲第一一号証は本願出願後の文献であるが、本願出願前のハイブリドーマによるモノクロナール抗体生産の技術についての発展の歴史を背景とし、その基本的な原理と方法を記述したものであると認められるから、本願出願当時の技術水準を示している箇所を参酌する限りでは、これを用いることに支障はない。)、第一引用例記載の手法は、要するに、抗原に対して特異性を有する抗体を産生する細胞と無限の増殖性を有するミエローマ細胞との細胞融合により、抗体を産生する細胞に由来する抗原に対して特異性を有する抗体産生能とミエローマ細胞に由来する無限の増殖性を併せもつ融合細胞ハイブリドを生成したうえ、これを単離し、それによつて得たクローンを増殖することにより、抗原に対して特異性を有する単クローン性抗体を大量に生産しようとするもので、具体的には、①ヒツジ赤血球(SRBC)を抗原として免疫したマウス(BALB/c系)から取り出したひ臓細胞を、細胞融合剤(センダイウイルス)を用いてミエローマ細胞(BALB/c系マウスのミエローマ細胞株P3/X63Ag8)と融合させる、②その結果生じた混成物をHAT培地中で選択培養することによつて、抗体を産生する細胞とミエローマ細胞との融合細胞ハイブリドを選択する(ただしこの段階では、右抗体産生能のないその他の正常細胞とミエローマ細胞との融合細胞ハイブリドをも含む。)(なお、右選択の仕組み及び原理は被告の主張1(四)記載のとおりである。)、③右融合細胞ハイブリドを抗ヒツジ赤血球抗体産生能を有する融合細胞ハイブリドのみに純化(クローン化)する(ヒツジ赤血球に対して特異性を示すクローンを検出して選択、培養する。)、④以上により得られた融合細胞ハイブリド(クローン)を、同系マウスの生体内又は試験管内で増殖させることにより、ヒツジ赤血球に対する特異性を有する純粋な単クローン性抗体を大量に製造する、ものであることが認められる。そして、前掲甲第二号証に徴すれば、本願発明も、具体的な実施例としては、免疫抗原の点を除き、基本的に同様の方法によるものであることが明らかである(ただし、細胞融合剤としてはポリエチレングリコールを用いているが、これは、後記第三引用例から公知である。)。

(二)  また、第二及び第三引用例に審決摘示(審決の理由の要点2(二)、(三))のとおりの記載があることは当事者間に争いがなく、右事実に成立に争いのない甲第四及び第五号証を総合すれば、第二及び第三引用例にも第一引用例記載の手法を用いた単クローン性抗体(抗ヒツジ赤血球抗体のほか、抗TNP抗体、抗DA株抗体)の製造成功例が記載されているが、これらの例では、免疫抗原として、ヒツジ赤血球のほか、二、四、六―トリニトロフエニル(TNP)、DA株抗原(ラットの主要組織適合抗原)が用いられたこと(なお、第三引用例では、細胞融合剤としてポリエチレングリコールが用いられている。)が認められる。

(三)  そして、第一ないし第三引用例には実際に免疫反応が示された特定の抗原以外の他の抗原についても示唆する記載があること(審決の理由の要点4(二)(1))も当事者間に争いがなく現に、第一引用例(前掲甲二号証)には、具体的な実験結果(免疫抗原としてヒツジ赤血球を用いたもの)の記載に引続いて、「上述の結果により、細胞融合技術は予め決めた抗原に対する特異抗体を生産するための有力な道具であることがわかる。さらに、同じ抗原に対して異なる抗体を生成し、異なるエフエクター機能(直接および間接プラーク)を有する雑種株を単離できることを示している。」(訳文九頁下から六行ないし一行)、「異なる起源からの抗体産生細胞を融合することもできる。そのような細胞は試験管内で高度に増殖させて特異抗体を得ることができる。このような細胞培養物は医薬的にまた工業的に有用である。」(同一一頁一〇行ないし一一行)との記載があり、これらの記載は、明らかに第一引用例記載の手法が免疫抗原を異にしても適用し得る点を示唆するものといえる。また、これを技術内容からみても、成立に争いのない乙第二号証によつて認められる、抗体とその産生機序に関する本願出願前の知見(殊に三二頁左欄九行ないし同頁中欄三四行)に、第一引用例(前掲甲第二号証)中に「各免疫グロブリン鎖は、夫々可変領域および定常領域をコードするいくつかのV遺伝子およびC遺伝子の一つの統合した発現に由来するものである。」(訳文二頁一行ないし四行)との記載があることをも参酌すれば、抗原の変化に応じて特異性の異なる抗体生産性細胞が誘導される現象は抗体生産性細胞中の遺伝子レベルの差異に基づく現象であることが窺われること等に照らし、他の条件が同じであるのに、免疫抗原を異にするとの理由だけで、融合細胞ハイブリドの産生する抗体の特異性の点を除き(この点は前記のとおり免疫抗原の差異に応じ異なる。)、前記(一)認定の第一引用例記載の手法中、①の細胞融合の結果に影響を及ぼすものと考えるべき合理的な理由を見出しがたいし、また、②ないし④についても、その内容自体に徴し、免疫抗原を変えるだけでは、これを不能とするような支障が生じるものとも考えがたい(実際にも、前記(二)認定のように、第二及び第三引用例において、免疫抗原として二、四、六―トリニトロフエニル、DA株抗原を用いて抗TNP抗体、抗DA株抗体の製造に成功しているのみならず、当事者間に争いのない第六引用例の記載(審決の理由の要点2(六))によれば、腫瘍細胞と種々の抗体産生細胞とを融合して広範囲のイディオタイプ、細菌、哺乳動物の細胞成分に対する抗体を産生する細胞株の得られたとの報告があつたことが認められる。)。なお、原告は、第一引用例中の「他の抗原を使用しても同様な結果が得られるか見る必要がある」(訳文一一頁五行ないし六行)との記載が、ヒツジ赤血球以外の他の免疫抗原を用いた場合における第一引用例記載の手法の適用可能性が全く不明であつたことを示すものである旨主張しているが、前掲甲第二号証によれば、右記載は、その直前の、免疫抗原としてヒツジ赤血球を用いた場合における、ヒツジ赤血球(抗原)に特異的反応を示す融合細胞ハイブリドが生ずる割合等を記載した部分を受けた記載であると解されるから、それらの点について、ヒツジ赤血球以外の抗原を用いた場合でも同様の結果が得られるか見る必要があると述べているにすぎず、原告主張のように解することは到底できない。

(四)  更に、本願発明のように、免疫抗原としてウイルスを用いた場合について検討するに、成立に争いのない乙第三号証によれば、「ウイルスはよい抗原である。ウイルスは主として蛋白と核酸からなり、蛋白は一般によい抗原であることから考え、もつともである。」(五〇六頁右欄二六行ないし二八行)、「ウイルスは中和抗体のみならず、多種多様の抗体を産生する有能な抗原である。」(五一七頁二五行ないし二六行)、「ウイルス抗原に対する抗体産生の機序が、蛋白その他一般の抗原に対するそれと、とくにことなると考える理由はない。」(五一八頁右欄下から二行ないし五一九頁一行)等の記載があることに徴すれば、ウイルスを抗原として用いた場合にも第一引用例記載の手法が適用できないと考えるべき合理的理由は見出しがたい。この点に関し、原告は、ウイルスが天然の感染病原体である点及び極めて僅かの蛋白質しか有さない点を指摘しているが、天然の感染病原体である点は第一引用例記載の手法の支障となると考えるべき理由にはならない。また、僅かの蛋白質しか有さない点については、成立に争いのない甲第一〇号証には、「ウイルスはヒツジ赤血球細胞とは免疫原性が異なる…」(訳文二頁一八行ないし一九行)と記載され、前掲乙第三号証にも、「ただウイルスの場合、細菌や一般の蛋白抗原とちがい、十分の抗原価をもつた材料をうることがかならずしもたやすくない。」(五〇六頁右欄下から七行ないし四行)との記載があることによれば、抗原価の相違等に基づき、実施の容易性という点では何らかの差異があり得ることは否定し得ないが、前記当事者間に争いのない本願発明の要旨によつて明らかなように、本願発明の構成は極めて広範なものであつて、実施レベルの問題点の解決手段等について何ら規定するものではなく、また、ほかに実施の容易性という域を超えて実施不能を予測せしめるような事情を認めるに足りる証拠もないのであるから、この点に関する原告の主張も採用しがたい。

(五)  なお、原告は、本願発明が属する技術分野においては、新規な手法の適用可能性は実験によつて確認された範囲でしか認められないとするかの如き主張をしているところ、たしかに、この種の技術分野は多くの未解明の点が存するものと考えられ、その意味では実験による確認がより重要であるといい得るが、この種の技術分野における新規な手法の適用可能性の問題も、結局は、その手法を適用した場合の結果の予測性の問題にすぎない点で他の場合と異なるところはないと解されるから、右原告の主張は相当ではない。また、原告は、甲第一一号証及び乙第一号証を援用して、第一引用例記載の手法は、本願出願前には確立していたものとはいえない旨主張するが、右主張も、前掲甲第五号証並びに成立に争いのない甲第一一号証及び乙第一号証に徴し、被告の主張1(三)のとおりの理由で採用できない。

(六)  以上によれば、本願出願の時点においても、第一引用例記載の手法が免疫抗原としてウイルスを用いる場合にも適用し得ることが当業者に容易に予測し得なかつたものとは解されない。そして、マウス(BALB/c系)由来のものについて抗ウイルス抗体生産性細胞が公知であつたこと(審決の理由の要点2の(四)、(五)、4(七)(イ))も当事者間に争いがない以上、本願発明が免疫抗原としてウイルスを用いた点の想到容易性を肯定した審決の判断に誤りはなく、原告主張の取消事由(1)は理由がない。

2  取消事由(2)について

この点に関する原告の主張は、その内容自体に徴し、①本願発明の「ウイルス抗体生産性細胞」が第四及び第五引用例における(イ)の段階(審決を取消すべき事由2(一)(イ))の免疫ひ臓細胞であること、②審決のいう第四及び第五引用例の抗ウイルス抗体生産性細胞が(ハ)の段階(同(ハ))のひ臓細胞断片であることの二点を前提とするものであることが明らかである。しかしながら、まず①の前提は、本願発明の「ウイルス抗体生産性細胞」について、本願発明に係る特許請求の範囲には「ひ臓又は淋巴節に見出されるタイプのウイルス抗体生産性細胞」と記載されているのみであつて、原告主張のような限定をなすべき根拠は見出せないから、原告の主張は、この点で既にその前提を誤るものとして失当である。のみならず、②の前提も認めることができない。けだし、この点に関する審決の記載は、「以上総合すると、マウス(BALB/c系)由来のものについて抗ウイルス抗体生産性細胞が公知であるとき、それをもつてきて公知方法を適用すれば、すなわち、このひ臓細胞とミエローマ細胞を融合させれば」(審決の理由の要点4(七))というものであつて、右記載中の「このひ臓細胞」がその直前の「抗ウイルス抗体生産性細胞」を指すことは記載上明瞭であり、審決自体、それが第四及び第五引用例の単クローン性抗体製造過程のどの段階のひ臓細胞を用いるかというような点を何ら限定しているものでないことも、審決の記載に徴して明らかだからである(原告が指摘する審決の理由の要点4(五)(ロ)の記載も、第四及び第五引用例により、本願発明とは異なる手法によつて単クローン性抗体生産性ひ臓細胞から製造された単クローン性抗ウイルス抗体が本願出願前公知であつたことを述べているに止まり、該記載をもつて、審決が前記「このひ臓細胞」を原告主張のようなものに限定していると解すべき根拠とすることはできない。)。したがつて、原告主張の取消事由(2)も理由がない。

3  取消事由(3)について

原告主張の本願発明の効果のうち、得られる抗体の純粋性及び大量生産性の点が、第一引用例記載の手法の効果そのものにすぎないことは前記三1(一)に照らし明らかである。また、抗原をウイルスとしたことによつて、始めて肝炎抗原の同定等に実用性のある医学的、工業的に有用な純度の抗ウイルス抗体を提供し得たとする点も、純粋性において差があるとはいえ(純粋性の点は右に述べたとおりである。)、第四引用例(成立に争いのない甲第六号証)にはその単クローン性抗ウイルス抗体が「ウイルス性抗原の分析を可能にする」(七二〇頁上段下から三行ないし一行)との記載があり、また、動物血清から精製した抗体が従来より広く用いられてきたことは当事者間に争いがなく(審決の理由の要点4(五)(ハ))、成立に争いのない乙第四ないし第六号証によれば、抗ウイルス抗体としての抗血清も、本願出願前から免疫グロブリン製剤等として診断、治療に用いられてきたことが認められることに照らせば、第一引用例記載の手法により単クローン性抗ウイルス抗体を製造すれば、原告主張のような効果が得られるであろうことは、当業者の容易に予測し得たものであることが明らかである(なお、原告は、抗ウイルス抗体としての抗血清の点について、審決が理由とするところと異なる旨主張するが、右は、本願出願前の周知事実として参酌しているに止まるものであるから、何ら妨げられるところではない。)。また、この点に関し、当事者間に争いのない第七引用例の記載(同4(七))中にも「ヒトの診断用免疫学におけるその応用の可能性は明らかである。たとえば希な血液型、各種肝炎抗原および腫瘍胎児性および腫瘍関連抗原を同定するためには…」との記載もある。なお、原告は、審決は、本願発明のような実際の診断及び治療に役立ち得る、純度の高い単クローン性抗ウイルス抗体を大量生産する技術が本願出願前には存在しなかつたことを認めながら、その時点で未だ実施可能の範囲内にはなかつた本願発明の実施可能性を前提としてその効果の予測性を判断しているものであり、また、その効果と比較すべき対象は各引用例の効果でなければならないのに、容易に組合せ得るか否か判明しない各引用例を組合せた場合の効果と比較することによつて、誤つた結論を導いたものであるとも主張している。しかし、本願出願前に本願発明の実施可能性が認められたこと及び各引用例の組合せが容易に想到し得たものであることは、前記1において既に述べたところから明らかであるから、この点の原告の主張も採用しがたい。そうであれば、原告主張の取消事由(3)も理由がない。

四  以上のとおり原告主張の取消事由はすべて理由がなく、他に審決を違法として取り消すべき事由は見出せないから、原告の本訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、一五八条二項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 船橋定之 裁判官 小野洋一)

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